第158回公演 終演のご挨拶

第158回定期公演「今夜は朝まで語り明かそう。」終演のご挨拶

ついに2019年が終わってしまいます。終演挨拶、すごい遅くなりました。先延ばしにしすぎて、年末になりました。
誠に勝手ながら、終焉挨拶を述べます。

今公演、演出Raminことイトウです。
まず始めに、さまざまな形で関わってくれた皆様、ご来場頂いた皆様、今これを読んでるあなた、今も生きている皆様、ありがとうございました。
そしてスタッフもキャストのみなさんもお疲れ様です。

長い長い2ヶ月はついに幕を下ろしました。
いや、でも案外悪い2ヶ月ではなかったんじゃないかなって思います。
程よく、悔しく、まんぞく、とりあえず最後に「く」のつく気持ちは一通り経験できたかなって。

舞台の何が面白いって、いつまでも続くんじゃないかってぐらい長い期間かけて準備をするはいいものの、
いざ披露するときは一瞬で終わってしまいます。
演劇という芸術の構造上、仕方ないっちゃ仕方ないんですけどね。映画と大きく違う点ですね。

本来、こういう終演の挨拶ってどういうことを書くかは分かりません。

ので、今春夏と僕の気持ちを振り返ってみたいと思います。
まず、この終演の挨拶をするまで大変長らくお待たせしました。2ヵ月はかかりましたね。

そうですね、どこから話しましょうか。
まず、僕の夏はどこから始まったかを振り返ります。いつだと思いますか?


正解は、2月です。Februaryです。
大丈夫です。僕は日本に住んでます。南半球にはいません。

じゃあ、それはなんでなのか。
前回上演した、春公演、「遠く、遠くへ。できるだけ速く行け。」の存在です。もっと突き詰めるなら寺岡さんの存在。

稽古始まりの2月から、夏はどうしようかなーってのはずっと頭の中にありました。いや、実際、だって春でダンスも楽器もやっちゃったらもう次は打つ手なしじゃないですか。(笑)しかもその夏公演には寺岡さんもいないという不安。
それほどまでに、僕の演劇における視野、価値観は狭かったんですよ。多分、だれしもがぶつかる壁だと思います。

4月の公演を終え、代替わりみたいなことが起き、今の69期が入団して、稽古を引っ張る立場になりました。いやもうびっくり!!「え!ぼく?もっと適任いないの?」状態ですよ。サークルだから流動的なものでもあるけども、それはこっちの都合で、観る人からしたら、とか。質は落としたくないとか、引き継いだものを壊せないとか。
まあ、これらを一厘として、残り九分九厘もありとあらゆる感情がありました。

そのときに、同期に勧められたお芝居を観に行ったんです。5月の初めぐらいでした。多分、このとき初めてお金を払って芝居を観に行ったんだと思います。その観た劇は今でも忘れらないし、ずっと心に残ってます。
なんというか、観た後、放心状態になりました。詳細は、控えます。ただ、この団体のやる演劇というものが強く今も残ってます。

これを機に、5月6月7月は食い入るように週3-4ペースでノート片手にいろんな劇を観に行きました。芝居の観方が分からないなりにそれっぽく見様見真似で観た記憶があります。

そして、7月のレパ選。脚本選考会ですね。帰り道、レパの語源について考察しあったことが記憶にあります。レパの語源はポルトガル語やらスペイン語やら、ぽいことを話し合って。結果、調べて英語だった時の灯台下暗し感は忘れられません。ぜひ、みなさんも調べてみてください。
このときには同期のみんなも、それぞれやること、やりたいこと、やらなきゃいけないことを見つけては、実質、曙しかやることがない僕だけ残ってしまいました。

そして7月上旬のレパ選を終え、脚本が「今夜は朝まで語り明かそう。」(仮)に決まりました。決まった時は本当に実感も何もなかったです。

8月に入って、夏季休暇は公演稽古を連れてやってきました。盆ではなく稽古を連れてきたんですよ?ひたすらに戦慄でした、焦燥でした。実感がないとか言いましたが撤回します。目をそらしてたんだと思います。
何を血迷ってか僕以外の団員をほぼ全員キャストとして舞台に立ってもらうことにしました。
正確には、脚本と演出の都合上、人が多い方が良いものになりそうな気がしたからです。あとは、スタッフ専門で頑張ってもらえるように引っ張る、上げることは僕にはできない気がしたからです。個人的には全員でまあ色々共有できるところはした方が楽でしょうっていうある程度楽観的な打算もあったりします。


ただ、この全員を立たせる選択は、いつかのブログ
で入江君もおっしゃってた裏で並行してる69期の学祭企画に影響を多大に与えることはそこまで考慮してなかったので「ごめん!」って思ったりしてます。

8-9月は人が揃ったり揃わなかったりの感じで一進一退、日進月歩、三歩進んでは二歩下がりながらーな稽古が続きました。
そして、通しで痛い目を見て、なんだかんだで休演日を挟み本番を終えました。稽古の詳細に関しては過去のブログを参照してください!スーパーざっくり。詳細を知りたい人はRaminが補完をします。

長い前置きはこれまでに、本番を終えてが主題ですよね。

うーん、悪くはなかったんじゃないかな。私が良く言う、重い重い色んな意味が込められた魔法の言葉「いいんじゃない?」が一番近いんじゃないかなって。
すごいドライに受け取られるかもしれないけど、「まだ色々やれたかもしれない」を残せて終われるのもそれはそれで、まだまだ先を望めそうかなと僕は感じます。
確かに100%出し切って満足して終えられるのがベストな形なんですけども、時間はこれからも過ぎていくわけで、成長の余地と発見があっただけ何より。いや、まあその終わり方は大きく二分化されると思って、
内輪でなあなあで、傷のなめあいみたいな形になるパターンと、
本当に出せる限界は出し切って、余力を残さないパターンなのかなと、そう考えるとまだここで満足しきるのも考え物だと思いました。あくまで一個人の考え方ですが。

今回は、2月に始まった僕の短い演劇人生で得た手札をひたすらに出して、こねくり回して勝負できた作品だったと思います。僕が思うオリジナリティは、どんなに他者の影響を受けて変わりゆくなかでも、変わらない部分なのかなと感じました。まあ、99%他者の影響を受けて、1%でも自分らしさが出ればそれはオリジナリティだと思います。どんな形であれ。
団体とか座組の形と、できる演劇、表現できる世界ってすごい密接だと僕は感じます。
演劇ってきっと、突き詰めるとなるとどこまでいっても満足できないんだろうなぁと。
犬は飛べないし、カタツムリは二足歩行でダッシュできない。その配られた手札でベストな選択をし尽くせればいいのかなって思ったり。ある種、詰め将棋ですね。詰め将棋を想像すると、成功できる可能性は1%でも0.1%でもあればなんとかなると信じてます。

演劇に不可能はない。この理論だけをかざして


そんなこんなで夏公演は終演しました。細かいところは思い出の中で楽しむことにします。もう何書けばいいか分からないので、詳細は聞いてください。

僕が次に劇団「曙」で演出をやるのはきっと、
2020年の夏か、2021年の春になる。
そのときは今まで以上に、僕の全力を持ってして前例のないほどの最高の舞台を創ります。自己満足かな。でもそれでもいい。
遠く、遠くへ。できるだけ速く行きます。そんな思いを朝まで語り明かせられればなと。
これを約束し、僕は次の舞台へと、新たな日々へと。

「 #劇団曙 」でTwitterにでてくる曙団員に僕はいます。
とりあえず、劇団「曙」に少しでも関わったみなさま、関わってないみなさま全員に感謝を申し上げます。なにはともあれ。

みなさんもよい1年を迎えてください!

以上を以て、このブログをお終いとする。