2019年12月9日

このブログを書くのも最後かなと締める前団長をよそに、まだ書きます、寺岡です。

必要とされる事は嬉しいことです。

巣立っていくのは、嬉しい反面ちょと寂しいです。
もーすぐ22歳です。

雰囲気、清野によせてます。

似てるかな。

と、まあ、
この辺にしましてね、はい。
先日チラと稽古を観に行きまして、
今年はどうだい、豊作かい?なんて思いながら観ていましたが、
なんて事はない、芽が出たばかりでした。

手をかけ畑を耕し、お水も十分にあげてるので、
あとはドカンと成長するだけやで!てな事を思ってたりするのですが、
きっと、植物のDNAがもつ設計図と同じような、どこをどうしたらこう伸びる!みたいなのが欠けてしまってるのかなぁとも。

なぜ私は、植物の成長をみんなの成長に例えて書いてるのか。

マジで謎。

でも、そうなんすよ、基本の大事なことはちゃんと通常稽古の中に入っているんです。
あの稽古、大まかな形を作ったの、私なんですけど、結構、本気で考えて作ってるし、無駄な事は1ミリもしてないつもりです。

てな訳で、ここから、どういった経緯で現在の曙の稽古の流れになっているのか、ということと、一体どうしたらみんなの芝居が面白くなるかの、寺岡的解決策?え、ちゃう、こうしてみたらええんとちゃうん案を出して終わりにしようなどと考えています。

曙の稽古の経緯については、出来るだけちゃんと書きます。
真面目に。
植物の例え抜きで。
なので、これを読んで、今後も同じように稽古する場合、下の代に伝える場合は、自分の口で説明できるようになってください。
それが出来ると出来ないは、大きな違いなので。

曙に僕が入団した、大学1年の頃、曙の稽古は正直つまらなくて、退屈でした。
毎回最初に発声をして、外郎売りを読んでから始まります。
それに30分。22時を少し過ぎるか過ぎないか。
そこから毎回色々あの手この手を使って稽古をしていました。
若干否定的に書いていますが、この方法も良いとは思います。
が、僕が作りたいと思う「演劇を作る為の団体」の稽古を行う際、この方法では実現しないなと感じていました。

この先の話をする為に、僕がどんな「演劇を作る為の団体」を作りたかったかと言うと、
「俳優が舞台上で生き生きと、自由に演じることができる団体」
です。

なんかややこしい言い回しだったのですが、これは通常稽古を回す時に、稽古を回す役をする人から見た視点での言葉です。
僕の観たい芝居は?って聞かれたら、ほぼ同じなのですが、「俳優が舞台上で生き生きと、自由に演じている芝居」です。

団体が持っているビジョンと言いますか、どんな風な団体になりたいってビジョンは、必ず板の上に乗ります。

なので、僕が稽古を回す時は、出来る限り、稽古を回す人と稽古に参加してる人双方向にベクトルを向けあえるように回していこうという意志はあります。

出来てるかはわからないけど、、、

僕の言ってることが全てになって、みんな僕の言うことを100%肯定して聞いてくれるなんて、ちょっと面白くないじゃないすか。
それは違うんじゃない?って言える団体、良いんですよねー。

なげえ。
まだ書き始めたばっかなんだけど。
ごめん、次に行く。

曙の稽古を作る上で1番に悩んだのは、稽古時間の短さです。

基本1時間です。
アホみたいにギリギリまで粘って、1時間20分です。
そんなギリギリは良くないなと思いつつ、基本それぐらいかかってしまいます。

ここで起こる問題として、少ない時間でいかに効果的な稽古、質の高い稽古を行うことができるか?ってことです。
ここで、高校時代から演劇をやってた人がよく疑問に思う、

なんで曙の稽古では発声をしないのか?

に、ついて書きます。

結論から言うと、やりたいけど出来ないってのもありますが、
発声を頑張っても声が出ないってこともあるよなと思ってたりもするので、してないってのはあります。

大学2年になった僕が稽古を回していた時、同期に声優学校に行っているやつがいて、おっちょって言うんですけど、
まあ、明らかに20世紀少年からパクったあだ名なんすけど、
そのおっちょにガチの発声練習をして貰って、いやぁ、こりゃ為になるなと思ったのですが、発声練習で1時間ちょいかかりました。

これはキツイな、と思いました。
当時、発声と同時に筋トレを基礎練として組んでいて、
結果僕が残したのは、筋トレだけでした。

なぜなら、発声というか、大きな声を出すという目的があったとした場合、筋肉量がある程度あればしっかり声が出る、どうせ同じものを見るなら、筋肉ついてた方がカッコいい、見栄えがいいそして、発声には何より呼吸が大事で、いかにリラックスした状態で舞台に上がる事が出来るか?ということを考えてたりしてた為、やめていました。

今現在、僕が発声に関してどのような事を思っているかと言うと、必要だと思ったらやればいいけど、通常稽古には組み込まなくても良いのではないかと考えています。

自分が書いて演出してみて、発声という面に関して、声量に関しては申し分なかったのですが、滑舌という面では、僕の知り合いの方からかなりの指摘を受けました。

その点に関しての僕の考えでは、
発声練習をしていないからできなかった。
という事ではなかったのではないかと考えています。
毎稽古やっていたら改善されたのかもしれませんが、発声練習をしていたら、何の問題もなかったのかと言われたら、僕は少し懐疑的です。

大きなウェイトを占めているのは、練習不足であったのかなと思います。
特に、セリフを立てる方への練習です。
「遠く、遠くへ。できるだけ速く行け。」では、かなりセリフを言うスピードを早くしていたのですが、その稽古の中で速い台詞回しの練習をしていたのですが、その早い中でどのセリフをどう伝えなきゃいけないのか?や、ここがどういったところでといった点を、細かく稽古できなかったのが問題だったのかなと考えています。

セリフが上手く言えない時、中々覚えられない時、その言葉の背景が見えないから中々覚えられないのではないのかなと私は思っています。
「イス」って言葉を言われた時、僕らはすぐに椅子を思い浮かべられるが、「chair」という単語を見たとき、すぐさま椅子が思い浮かべられるわけではなく、「チェアー」を通って「イス」を通って「椅子」になるんじゃないのかなと。
で、その自信の無い時、僕らの「chair」は実在する「イス」ではなく、「これなんだっけ」っていうのが1番に出てしまいます。1番じゃなくても、滲み出ちゃう。
で、そーすると、あれ、なんか上手くいかないなぁってなる。
そっからどうするか。
その分からないところを繋げてあげれば、すんなり行きます。
これは、例がイスだからすぐ済むけど、なぜその役がその瞬間歌を歌うのか?とか、なぜ彼は人を殺してしまう人格を形成してしまったのかとか、なんか色々難しいこともあります。
そういう時は、みんなで対話をしたら良いのではないかなと思います。
それでしっかり納得がいく結論に至ったのならば、そのセリフはしっかりと言えると思います。
で、しっかり言えれば、大きな声で自信を持って、しっかりとした滑舌で言えるのではないかなという考えを持ってます。

拍手回しに関してです。
色々試してみて、この団体の雰囲気に1番マッチしたシアターゲームだったから、使ってるってのはでかいです。
あと、このゲームはすごくシンプルで単純なのに、すごく深く考えられていて、演劇の興味深い面白さが見えて、素敵だなと。
僕ら曙の考え方の基礎として深く刻まれる、いいゲームだと考えています。
開く閉じる、6つのベクトル、人との関わり方。
たくさん見れます。
「Why?」をしっかりと持つ。 
大事なシアターゲームです。

ちょっと疲れたね笑笑
次で稽古は最後です。

テンション・ステータス・ラブです。
これは、去年始めたばかりで、中々難しい稽古です。
これは、僕の伝えたのでは未完成なままです。
できれば曙で大成出来たら良いなという、ある意味、劇団曙への僕からの挑戦状的なものです。
いや、僕からってのはキモいっすけどね、はい。
キモいっすね。
そのまま載せますが。笑笑
この稽古の最大の利点は、なんか気づけば忙しい2部学生というか大学生が、稽古時間外でプラスαで時間を使わなくても稽古できて、更に積み上がるってとこです。
そして、むしろ、働いてる時とか移動時間とか、そういう日々の時間に目を向けて「Why?」を持って生活する事で、成果が出てくる。
「Why?」の習慣化を促す働きを持つようにしているってのが、でかいウェイトを占めています。

そして、この稽古はテキストの読解とは全く別です。
エチュードですが、言葉の持つ意味というのはさほど重要ではないです。
むしろ、言葉の意味でテンション・ステータス・ラブを計ろうとするのは、この稽古の本質とズレます。
どんな身体で舞台に立つか?です。
好きな子に告白する時、どんな身体でそこに存在するか。
その指標となる稽古です。
俳優の視点で見ると、演出からこうして!って言われた時、柔軟に対応できます。
すぐに自分の中のギアを変えることによって、すぐに対応できるし、変えて見える景色がより繊細にわかります。なぜなら、相手がどのステータスでやってるか?とかが分かるから。
全体でしっかりと共通言語が確立されていると、このようなメリットがあります。
事細かく説明しなきゃいけないのが、メロドラマで、ステータス7ぐらいにして!で、すぐ伝わる。
で、その背景の説明もしやすい。指標があるから。
超便利。
1人で家で役を考える時、周りの役を考える時、超便利。
ただ、これは心の問題じゃなくて、身体の問題なので、そこだけを履き違えないで欲しい。
怒ってるパッション、告白する直前のパッション、宝クジの一等引いたけど言っちゃダメだって時のパッション、母の死を受け入れるが弟達の前で兄が涙を堪えている時のパッション。どれもこれもパッション。
身体は。
心の中は全然違うし、身体の持つ雰囲気というか、オーラ的な、表現の仕方、、ではないか。その、それ(雑でごめん、誰か言語化して)は、違うけど、身体のテンションはパッションなのです。
それを履き違えないでね。
それは忘れないで。
よろしく!

最後に、解決策についてですが、上に書いてあります。
全部、ちゃんと稽古の中に組み込んでます。
そして、ちゃっかり書いてます。

分かんなかったらもっかい読み返してみて〜

分かんないことがあったら気軽に聞いてね。
で、分かったら、今度入ってくる後輩に聞かれたとき、教えてあげてください。
伝統はそうやって作られます。
団体の強さはそこにあります。
僕はJohn・Lennonが大好きなのですが、彼の歌うimagineの歌詞が好きで、とりあえず全部乗っけるけどさ、
想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...

想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ

想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ
この考え方、僕らはそんなに新しいと思わないけど、当時はやっぱ鮮烈な印象で、うわぁって思うわけやないすか。
いいなぁって思うのは、 John・Lennonがこれをリリースしたのは31歳の時で、29歳ぐらいに思いついたみたいだけど、僕らはそれをもうすでに理解することができる。
この差は絶対にでかい。
これは、やはり、団体の良さなんです。
僕の考えた事を越えて、みんな、ドンドン羽ばたいていってくれよな。

よろしく!