2015年3月20日


今回のブログ担当の呉です。

本日3月20日は、それぞれ衣装を合わせメイクを施し、一部の小道具も使用して、通し稽古を行いました。

次に、演技そのものや立ち位置について、演出から細かい指示を受けながら、シーンごとの練習をしました。

キャストさんは、セリフも出捌けの位置もだいたい覚えてらっしゃいました。自分はしばらく稽古を休んでいたので、一観客の目線で楽しめました。特にオープニングと劇中のダンスが楽しそうでしたね。

さて、私が「曙に入った理由」ですが。
単純に、演劇を含めた芸術作品を創るのが好きだからです。

私は昔、絵を描くことが生き甲斐でした。紙と鉛筆と消しゴム、それ以外は私の人生に必要ありませんでした。

それでお金を稼ぐという意識は希薄だったけれど、一生そうして生きていくのが、幼い私の夢でした。

自分には才能がないということに気がついたのは、中学生のときでした。
たとえありきたりであっても、幼いなりに情熱を傾けて、生涯を捧げたいと願ったのは、後にも先にも絵に対してだけです。

努力してきたつもりだったけど、それでも自分は夢に敗れたんだということを認めるのには、とても時間が掛かりました。

芸術を創り出す側として生きていくことができるのなら、それ以上幸せなことはないと、今でも思います。

もう覚えていないくらい小さなときから、いつだって私の心を惹きつけてやまないのは、絵画をはじめとした芸術作品、それらを創り出すことの奇跡についてでした。

結局のところ、青臭い夢が叶わなくても、そういった芸術作品に一切携わらず生きることは、私には困難なのだと思います。

絵を描かなくても、芸術に触れなくても、生きていけるということに私は気がついてしまったけれど、それでもそれらを除いた人生は詰まらないのです。

高校生のときは、進学資金を貯めることに必死で部活に入れなかったので、もし大学に行けたら芸術サークルに入ろうと、早いうちから決めていました。

曙に入ることを決めたのは、友人に誘われ新入生歓迎公演を観させていただいたからです。唐戸先輩に圧倒されたことを、よく覚えています。


表現活動というものは、大多数の人の人生に不可欠な要素ではないと思います。私にとっては、ほかのどんな娯楽より胸を熱くさせるものだけれど、すべての人にとってそうであるわけではありません。

プロになるわけでもないのに、学生最後の時期をそんな活動に費やすのは、馬鹿げたことなのかもしれません。その時間を勉強に使うべきで、そうやって輝かしい未来を勝ち取った方々は、表現活動とやらが一体なんの役に立つと思うのでしょう。

けれど、この劇団の長い歴史の中で、途方もない数の大学生たちが、そんな無駄かもしれない活動のために、貴重な時間とお金を差し出してきました。

理解できないと思われるでしょうか。一度曙の公演を観に来てくだされば、その謎が解けるかもしれません。あるいは、解けないかもしれません。

けれどその時間だけでも、楽しく過ごしていただくことができたのなら幸いです。新一年生のみなさま。そうではないみなさまも。4月の公演で、お待ちしています。