2020年5月3日

劇団「曙」 第159回公演「贖罪」
終演挨拶


ーーーーーーーーーーー


劇団「曙」第159回公演 「贖罪」 は、
中止となりました。

5月3日。
電話での読み合わせを最後に、本公演は終わりを迎えました。


ーーーーーーーーーーー


あれから、ちょうど2週間。
5月17日。
こんなにもブログに時間をかけるのは初めてです。
どうも。匿名の脚本演出家です。明日、誕生日です。

匿名とは何だったのか。


実は今までずっと、本公演の振り返りのブログを書いていたのですが。2万字を超えてしまい…。
そりゃまあ、1月6日から時系列順に出来事を書いていたので、長くなるのも仕方ないのですが。

…よく考えたら、人に見せるものではなかったので、没にしました。
ナタリーもビックリのロングっぷり。


なので、自分の中での、本公演の振り返りは一通り終わっています。
さて、そんな中。ブログ。他人に見せるモノ。“終演”挨拶。

何を書きましょうかね…。


そもそも公演を誰にも見せることが出来ていないから、何を書いても、ね。
伝わらない気がする。

いちから説明すると、2万字を超えるし。

コロナ関係無しに、今回の座組は複雑だし…
2万字を超えるくらい複雑なので。




全てを伝えようとは思いません。
自分のことを、自分のために書きます。
主観です。あしからず。


ーーーーーーーーーーー

【脚本のはなし。】

この脚本「贖罪」は、3日で書き上げました。(勿論、後でたくさん書き直しましたが。)

というのも、レパ選(1月8日)~3月15日までは、本公演の脚本・演出家は俺じゃありませんでした。
「彼」でした。
そして、「彼」のアイデアはありましたが、脚本は完成していませんでした。

脚本が上がらなきゃ、何も出来ないわけで。
本番は4/10~を予定していたので、進捗状況から、みんな不安だったと思う。

「脚本・演出家の彼」本人しか知らないであろう苦悩と、コロナによる活動自粛も重なり。
このときには、座組は公演を打てる状態では無くなっていた気がした。

この座組は、一度、分離(?)してるんですよ。


演劇がしたい、と思っている人が潰れていくことが、見ていられなかったので。
脚本・演出家の権限を勝手に奪い取って、座組を再始動させました。
「ついてきてほしい」だなんて、恥ずかしいLINEをしました。

座組の信頼を得るためには、一刻も早く脚本を完成させなければいけない。
怒りと焦りだけで、脚本を書き上げました。



「彼がこの現状を無かったことにするのが許せない」なんて、そんなの後付けだと思います。
いや、本当は何もかも後付けで。
ただ、よく分からないまま、気がついたら動いていた、というのがホントかも。

今となっては、全部本当で、全部後付け。


純粋に演劇がやりたい、という気持ちで書いていたら格好良かったのに。


でも、思い返すと、よく3日で書けたな、と。
彼のお陰で脚本を書くことが出来ました。皮肉ですが。
なんとなく、もう二度と書けないような気がしています。


他人から嫌われる覚悟で何かをしたのは、初めてでした。
というか、嫌ってほしい。嫌ってくれ。



【演出のはなし。】

この公演中、対面で稽古することは一度もありませんでした。
役者も裏方も、完成を頭の中に描き切れていなかったんじゃないかな。

実は、演出家の頭の中にも、完全な完成形はありませんでした。
私一人の頭の中で完結するモノなんて、劇団「曙」の演劇じゃないと思うので。


…ああそうですよ、言い訳ですよ。怠慢ですよ。

でも、演劇をやるなら、今後も関わらせていただけるのなら。俺は、そういうのが作りたいです。



【5月3日のはなし。】

稽古、最後の日。
通しの読み合わせをしました。

通信環境だったり、通しが久しぶりだったりで、かなりグダってしまいました。
あれで良かったのか、今でも分かりません。

みんな、満足してないといいな。なんて。
最低。だけど、それがいいのかも、って。ちょっと思います。

やっぱり最低。



【中止のはなし。】

公演の中止について、立場上、ずっと考えないようにしていました。
でも、脚本を書いている時から、ずっと頭の片隅にありました。

ほんと、演出家失格ですね。


…だからこそ、この物語が生まれたのですが。


脚本のデータとか、公開しようかな。

空しいだけだな。


…観て欲しかったな。


物語が生まれた、というか。既に物語はそこに在った、というほうが近いのかも。
この脚本は俺が書いた、と言ったけど、自分ではそう思えないんですよね。
アイデアは彼のものだし。話もフィクションとノンフィクションのハイブリッド、みたいだし。

事実をもとにしたお話を、皆でやるっていう。
役者も裏方も、彼も俺も。色んな意味で、嫌だったろうな。
まあ、そこが「贖罪」と繋がってくるんだけど。

あれ、白芸さんの「腑抜けども、~」に、そんな女の子、出てこなかったっけ。
まあ、いいや。


この公演は、私が勝手に息を吹き込み、私が勝手に殺した。そんな気持ちでいます。
「神様」気取りです。



公演は、延期ではなく、中止にしました。

誰にも見せることなく、このおはなしは眠りにつきます。



【贖罪のはなし。】

終わったことを言うのは、ナンセンスですが。
今でもいろいろ、考えてしまいます。

これで良かったのか、自分が何をすべきだったのか。
公演に関わってくれた皆が、どう思ってるのか。

僕は「彼」から、いろいろなモノを奪ってしまったのではないだろうか。


まだ私は、第159回公演を、色んなものを、引きずっています。




脚本のタイトル「贖罪」。
俺は、この名前にする気は、最初はなかったんです。
書く前の新規Wordファイルに付けた名前が「贖罪」だっただけで。

でも、脚本を書くときは、贖罪のつもりで書き始めました。


座組を新たにスタートさせるとき、今までのものを使わないで、一新させるという選択肢もあったのですが。
それが、なんとなく嫌でした。
無かったことにするのは、違うと思いました。


3月16日。
座組全員から、どうしたいか、グループLINEで意思表示をしてもらいました。

「こうなってしまったのは、全員に責任がある。」
誰かが言いました。

これが、「贖罪」の始まりでした。




5月17日。
僕は、「贖罪」を果たせずにいます。
罪を償えずにいます。
自分を責める日々が続いています。






座組を再始動させた日。
いや、もっと前から。
僕はどこかで、公演が中止になることを理解していたのかもしれないです。
ひょっとしたら、僕だけじゃなくて、みんな。分かってたのかも。


もし僕があの日、何もしなかったら。ずっと前に公演は中止になって。
コロナで今の状況になって、「春公演は、何にせよ中止だったね。」とか言ってたのかな。
そうやって正当化して、忘れていったのかな。

そうなるくらいなら、精一杯やって、中止になって、泣くほうがいいな。
そう思って、脚本を書いていました。

3月20日。
脚本、完成。




5月3日。

5月4日。

結局、この座組を終わらせたのは、僕でした。
終わりは、劇的じゃなかった。


美談のように書いてきたけど、
「結局、ただ君が辛くて苦しいから、辞めただけじゃないのか。」
「君はただ、自分勝手に終わらせただけじゃないか。」


これが否定できないまま、2週間が過ぎました。



ーーーーーーーーーーー



久しぶりに脚本を読み返しました。
「ああ、俺だな。」と思いました。
こうなることが、全部分かっていたような。そんな気がしました。







作中のセリフをひとつ。
「誰にも見せない創作物って、何の役割があるんだろう。」





僕は、彼らと一緒に、「贖罪」を続けます。




5月18日。
20歳になりました。

引きずるものが、またひとつ、増えました。




ーーーーーーーーーーー

最後に。

公演に携わってくれた、皆様に。
春公演を気にかけてくださった、皆様に。
こんな乱文を、最後まで読んでくれた、皆様に。

多大なる感謝を。
本当に、ありがとうございました!




また、次の舞台で。





安岡恵吾


5/3 読み合わせ終了後の一本締め。
5/3 読み合わせ終了後の一本締め。